親と子のdistance
2020.6
文:中村幸代
green café essay vol.104
「親と子のdistance」
16歳の息子の言動に、思わずムッとしました。
4年間使い続けてきた息子のスマートフォンの調子が悪く、充電もままならないと言うので、買い物のついでに携帯ショップに立ち寄り来店日を予約。その数件先にタピオカの店があったので、息子の好きな抹茶タピオカを持ち帰りました。自粛モードで、いろいろ気を使いながらの生活だからこそ、せめて身近な人の喜ぶ顔を見たいではありませんか。ところが。
「抹茶タピオカ、買ってきたよ〜♫」
「ああ。(テンション低めに)・・・・甘いのは、ちょっとなー。冷蔵庫入れといて」
「携帯が調子悪いって言ってたから、お店予約してきたよ!」
「別に、来月でいいよ」
って。もしもし?ほかに言う言葉があるでしょうが。それで、ムッとしたわけです。
でも、よく考えてみれば息子ももう大人に近づいていて、彼のペースもある。親にとって息子は生まれた時からずっと息子で、それは今も変わらない。
だからと言って、いつまでも親の期待する反応が返ってくるわけではないということを学びました。
子離れ、親離れ、そんな言葉が頭に浮かびます。
それでも親というものは、子供の幸せを願い、いつまでもいつまでも心配し続けるのでしょう。
何度注意しても、息子の部屋の隅から丸まって出てくる脱ぎっぱなしの靴下を見るたびに、将来お嫁さんに追い出されないといいなあと、結構本気で心配する私です。
文・中村幸代